人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ティナステリン


Even small things make me happy!
by tinasterin
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

北部旅行

北部旅行へ
長期休業中を利用し、北部へ旅行した。任国外旅行(タンザニアへ)を控えている為、節約バス旅行。ローカルバスを利用しての旅の私の一番の恐怖はノミ、ダニだ。座席に潜んでいるものはともかく、エチオピアでは皆が「ガビ」という大きな布を体に巻きつけて、行動する為、そのガビを振り回す度にバスの中でノミが飛ぶ。この国での生活ではそんな事は言っても仕方がないので、責めての抵抗「虫除け」を身に振りまき、準備は一応万全。雨季の為、状況は悲惨になるだろうと覚悟を決め、バス旅行でしか体感できないものもあるはず!と前向きな気持ちも持ち合わせながら、出発した。
 まずは、早朝アジスのバスターナルへバスの確保の為向かう。早朝6:00に到着したが、辺りはすでに人で溢れている。エチオピアの人々は朝早起きが多い(宗教上の理由から早朝から教会やモスクへ行く人も多いし、早朝から教会やモスクから音楽がよく聞こえてくるのが近所の家の人には迷惑であるが・・・)
 早朝にバスターミナルに着き、バスを確保したにも関わらず、一向に肝心のバスが現れず、2時間ほどアジスで立ち往生し、最初から不吉な予感。。。
バスに揺られて約11時間後、最初の宿泊予定先のデッセに予定より3時間遅く到着。
結局夜遅く到着した為、その町の様子でさえも分からないまま、次の日の早朝4時半起床、次の目的地に向けてまたもやバスターミナルへ。しかし、その日はなんと、私達の目的地「ラリベラ」行きのバスがないという事が発覚。。。ガーン、ショック。。。
仕方なしに、中継地点(ウオルディア)まで行き、そこでもう1泊することになった。
なら、ゆっくりホテルで寝とけば良かった~って後悔しながら。。。


不思議なことに、現地人の移動手段は大方がローカルバスであるにも関わらず、現地人は超バスに弱い。エチオピア人のこの点もよく理解出来ない点だ。バスの中では、バスに酔った人々が、次から次へと吐いている。バスには乗車している勘定係は、お金を集金する仕事と、酔った人へのビニール袋配りもメインの仕事になっているとも言える(笑)。
エチオピア人は、その空気が悪く悪臭が充満している状況の中でさえ、窓を開けるのを嫌うので、窓も開けれない状況。道は超デコボコ。ちょうど後輪の辺りに座っていた私達のお尻は信じられないくらい宙に浮き、何度も叩きつけられる。それが結構長い間続き、お尻には打撲したような痛みが走る。そんな悲惨な状況の中、出発後3日目にようやく目的地「ラリベラ」に到着した。

ラリベラは、エチオピアにある8つの世界遺産のひとつで、とても歴史的にも古く有名な岩窟教会がある。これが、一枚岩をくり貫いて作られているかの有名なすごい遺跡だ。
 
北部旅行 _f0051190_173079.jpg

北部旅行 _f0051190_1122510.jpg
          

その日は偶然にもラリベラにチェコの大統領が来エチしていた為、人数制限があった為か見学者は少なかったよう。この旅初のツキであった。こっそりと何枚も見たことも知りさえもしないチェコの大統領の写真を隠し取りし、ガイドの案内のもとに3時間でラリベラに11ある全ての岩窟教会の見学を終えた。確かにうわさ通り、見ごたえがあり、歴史を感じる趣に惹きつけられ、ガイドの案内を聞き逃しながらも写真を撮り続けた。


翌朝、標高3200mほどの所にある山頂の教会まで景色を楽しみながら歩いた。空気が新鮮でおいしい。景色も神秘的である。
北部旅行 _f0051190_1145525.jpg

   
その整備もされていない山道をロバと馬の間の動物「ラバ(ミュール)」が観光客を乗せ、登頂していくシーンを目にしながらも、お金節約とその方が危なそう・・・という感覚の中、私達は徒歩を選択し、往復約3時間半ほど歩いた。
どこに行っても、物乞いの人がいる。そして着いて来る。彼らの身の上話を聞いた後は、最終的にはお金を要求されるというオチの中、無事「ラリベラ」をその日の午後出発し、次の目的地「マイチョウ」同期の赴任地へ向かった。
またもや期待?を裏切らず、その日「マイチョウ」へ行くバスはなく、また中継地点で宿泊することになる。しかも、その知る日とぞ知るといった小さな町で、次の日にサッカー大会がある(おそらくあの小さな町では大イベントであるはず)為、どこのホテルも1室でさえ空きがなく、ホテルを確保するのにかなり苦労した。
エチオピアの子供達は、外国人を見つけると、何かをしてお金をもらおうとする習性がある為、知らない町でも探しもので苦労することはない。言葉が通じさえすれば大丈夫だ。
ただ、苦労するのは、歩いているうちに、近所の暇な子供達がどんどん増え、暇な大人達も現れ、大勢の人数に囲まれ、いったい何事だという雰囲気の状況に陥ることから逃げられないということだろう(笑)。
              
               
翌朝は、無事に友達の赴任先「マイチョウ」に到着し、1泊し、次は更に北部の大きな町「メケレ」に向かう。最後にメケレのシニア隊員の豪邸に2泊させてもらい、最後はきれいなお家で、NHKのテレビが見れ、日本食を食べさせてもらえ、お湯のシャワーの出る家でゆっくりとした2日間を過ごし、帰りは飛行機で約1時間半のフライトで無事アジスへ戻ってきた。
旅行は色々なことが体感でき、楽しい。が、帰宅翌日、疲れて熱が出た。

北部旅行 _f0051190_1912100.jpg
           
      北部のみの果物 サボテンの実(ベレス)とっても美味しい
# by tinasterin | 2007-09-14 01:09 | Trip 

卒業式

最近は、自分で家の掃除、洗濯、自炊をしている。というのも、大学の授業も終了し、ついに長~いお休みに入ったからだ。振り返ると、去年の今頃、私たちはエチオピアに来たんやな~って思う。天気は去年同様、雨季の為、毎日豪雨、道路とズボンの裾は常にドロドロ状態。洗濯物を干すチャンスがなかなかないので、本当に大変。

今年、エチオピアはミレニアムの年、エチオピアにもようやく2000年が来る(9月12日)今年はミレニアムの為、例年以上に学校が始まるのが遅い事を予想する。。。もう、何でも理由が「ミレニアム」なんやから・・・(笑)
 
 最近、大学の卒業式に参加した。卒業生は教えていないが、卒業式を見たいという理由のみで式に出席した。
始まると言われていた1時間後、ようやく始まった始まりは予想通りの卒業式だったが、卒業式には、バンドメンバーが横の舞台にスタンバイし、エチオピアの音楽をガンガンと演奏し続け、ダンスしまくりの予想外の卒業式だった。
開始前の1時間は、皆、それぞれに音楽に合わせて踊っている。座りながらの人、立って躍っている人、私ら日本人のみが「いったい、いつ始まるん!?」とこの状況をひたすら待つ状態が続く。
実際、3ステージほどあった卒業式だったが、1ステージごとに、音楽がガンガンかかり、皆が立って躍りだす。それも皆ばらばら、好き勝手に。。。生徒達はとても楽しそうだったが、私達はなんかよく分からない、いつ終わるのかも分からないダラダラとした式の流れを見ながら疲れた。日本人が3人いたので、有難かったが・・・。

エチオピアの卒業式はもっと静粛な感じかと予想をしていたが、こんな感じにはビックリ。「踊りが毎スーテジごとに入るのは、この大学の伝統なんだ、いいだろ~」と、聞くと自慢げな答えが返ってきた。

成績優秀者は、トロフィーまで貰っていて、大盛況の中式が終わった。日本語クラスに参加していた男の子が、良い成績の為名前を呼ばれていたので、声をかけ、「すごいやん」って声をかけたら、彼は超不満げに、「人生最悪の屈辱感だ」と悔しい表情で言ってきた。
後で彼から事情を聞くと、彼は学部で最優秀成績だったはずだが、2日前に1位と2位が入れ替わり、自分が2位にされていたらしい。
エチオピアでは、こういったことがよくあるらしい・・・。確かに、生徒達は異常に点数に執着心が強すぎる。試験後の成績に対しての抗議に現れる生徒達の光景をみるのも、エチオピアの伝統とでもいうのだろうか。

私は来年の今頃は、もうここにはいないから、卒業式を一度見学出来て良かったかな。
卒業式に参加できるのは、生徒のみ。生徒数が多いので、家族は外のモニターで見れるだけなのに、関係ない私達が中に入ってしまって、すんません。。。
 
卒業式_f0051190_15122816.jpg

子供達も正装
卒業式_f0051190_15165520.jpg

# by tinasterin | 2007-07-19 15:10 | Daily

悲しいような嬉しいような。。。

1週間前に約10ヶ月間、一緒の敷地内に住み、家の掃除と洗濯のお世話をしてくれていた15歳のお手伝いさんが去った。前から、ちらちらと「仕事はいいか?」「あなたはいつまでいるのか?」と聞いてきたり、私はこの家を去って違う家に行くかもしれないといったニュアンスの話を少しはしていたので、とうとうお別れの日が来てしまったか・・・という状況だった。

 最初、彼女からそんなニュアンスのある話を聞いたときは、「私がエチオピアに滞在しているあと1年はいて欲しい」と私は彼女にずっと言っていた。とてもよい子で彼女のことが好きだったから。
けど、結局私は15歳の彼女を学校にも行かせてあげることも出来なかった(大家と話はしたが無理だと断念)し、私が自分の気持ちのみで彼女をここに引き止めるのは良くないな~と毎日の彼女の様子を見ていて、少しずつ自分の気持ちにも変化があった。

それにはこんな理由が背景にあった。  
・ここの大家は彼女を使いすぎているということ。
・彼女にはほとんど自由な時間というものがないということ
・彼女には休みがなく、徒歩圏内の買い物以外は敷地外に出れない
・両親や兄弟に会いたい・・・とよく言っていたこと。
・ここで働いている限りは、学校にも行けないということ。

最近は、どこのお手伝いさんも仕事がきついと続かなく、突然去ってしまうケースがエチオピアでも多いらしい。彼女は若く、世間の状況も何も知らないまま、1年間、ここで働いている。彼女を見ていると、「私も頑張ろう!」とよく思い、励まされた。
一度、彼女はお姉さんの家に大家から休暇をもらって行かせてもらったことがあった。、その時に色々な情報を得てきたようで、その時ぐらいから色々と考え出した様子だった。
彼女の発言に少し変化をその後ぐらいから確実に感じたのを覚えている。

この家を去ろうとしていた当日、私が朝職場に行く前に、彼女が私を呼んだ。「今日、何時に帰ってくる?」「晩になる」と返事をすると、「私は今日、自分の国に帰る」と言う。
私の理解が正しければ、確かにそう言っているので、「お昼に帰ってくるからその時に話をきかせて」と伝え、私はお昼に帰宅した。

 結局、「今日、この家を出るんだ」と興奮しながら話す彼女と少しお茶をしながら、話をした。その晩、彼女は家を去れなかったようで、まだいる。大家の奥さんに伝え、ダメだと言われたらしく、「どうしよう・・・」と泣いていた。
私は彼女に、「言わないで、こっそり出て行かないと、出て行けないよ。この家の人はあなたが必要なのだから」と伝えた。そんな私の発言に対して、「言わないで出て行くのはとても悪いこと。それは、出来ない」と彼女は言っていた。
まさに、彼女が言っている事の方が正しい。でも、少ない給料でこんなよく働くお手伝いさんはなかなかいないという現実を知っている大家さんは、彼女を国に帰らすことをするのだろうか・・・。
 仕事があるのはいいことだ。でも彼女にとってどれが一番いい事なのかは、私には分からない。
 次の日の晩の帰宅時、彼女は敷地内のどこにもいなく、彼女の家族の意向もあり、大家さんと話をし、出て行くことが出来たようだ。

 彼女のことを思うと、良かったのだろう。本当にいなくなってしまった彼女の事を想い、私自身、フ~~ッっとため息が出る変な気持ちだった。明日からは、自分のことは自分でしよう。。。自分自身もこれが普通のことであったはずなのだが、彼女にすっかり甘えていたんだな~ってここ数日間の生活の中よく思う。
彼女は1ヶ月で帰ってくるかも・・・と言っていたが、おそらく帰ってこないだろう。

今頃、家族と再会し、楽しい時をすごしているのかな?? 
# by tinasterin | 2007-07-01 21:39 | Daily

剣道クラブの6ヶ月後。

年の12月から始めた剣道クラブ。色々と問題がありながらも色々な人の協力のもとに6ヶ月間続けることが出来た。一応、学校が休みに入ったことと、体育館が使用できない等の問題もあり、今月末で剣道クラブの1タームは、一度終了することにした。
 
始動時には、11歳~16歳の生徒が40名いたが、現在のところ、毎回継続してくる生徒は、約15名ほどまで減った。エチオピア人にとって、休まず続けることはこの子供達だけに限らず難しいことだということが、エチオピア滞在1年が経過した今は、事情も分かる。

開始当初、生徒が40名もいた時は、整列も出来ない、言葉も通じない子供達への指導が大変だった。もちろん今もまだ大変だが。。。以前は、毎回イライラして、逆にストレスが溜まっていた時もあった。そんな時は、先輩隊員のアムハラ語(エチオピア語)が堪能な方に、通訳してもらったり、他のメンバーもずっと続けて来てくれたこともあり、かなり助けられた。一人では出来ないわ、こんなこと・・・ってマジで思う。

 6ヶ月経った今は、生徒達と意思疎通も少しずつできるようになり、生徒達の成長に励まされる時が多いように思う。
 週に2回の約45分間の練習だが、まさに「継続は力なり」と実感。

JICA主催の「世界の笑顔のためのプログラム」で申請していた剣道具一式も自分の地元の道場の協力があり、来月初めには、剣道具一式が届く予定だ。

協力してくださった皆さん、本当にありがとうございました
(近々、活動状況のビデオを送付しますネ!)

 体育館に行くと、面をつけたり、小手をつけさせてくれと皆が口々に言い、嬉しそうに打ち合いをしている場面が多く見られるので、防具が届いた暁には、どれだけ喜ぶことかと想像できる。

この1タームの最後には、地元のスポーツイベントに参加して、地元の皆さんの前で「剣道チーム」の舞台発表が出来た。

協力してくださっていた2名の先輩隊員が、来月と再来月には帰国するので残念だが、また9月から無事再開できることを心より願って。

嬉しそうな子供達の笑顔
剣道クラブの6ヶ月後。_f0051190_4223357.jpg

# by tinasterin | 2007-06-22 04:23 | Daily

My home

My home   _f0051190_1894381.jpg

my home in Ethioiap,3 month ago
My home   _f0051190_1812641.jpg

finally,I could get a big sofa in my salon now
My home   _f0051190_18153412.jpg

bed room
My home   _f0051190_18165031.jpg

kitchen now
My home   _f0051190_18192629.jpg

My home   _f0051190_18205561.jpg

My home   _f0051190_18235535.jpg

flowers in front of my home

Anyway, I am staying in such a wonderful home slowly in Ethiopia.
I know I can't stay in this kind of home alone in Japan...

My home is really nice except thinking of no light and water sometimes.
# by tinasterin | 2007-06-09 18:26 | my ethioia's home